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内大臣府内廷録 [宮内庁書陵部]

昨日、書陵部について書いたので、昔見たことのある史料について少し紹介してみたい。
それは、内大臣府の「内廷録」(昭和20年、追加も含む)である。
「内廷録」という名前からでは全く何が入っているのかわからないが、内大臣に送られてきた投書・意見書の類である。

中身を少しだけ紹介してみよう。
徳富蘇峰(大日本言論報国会名義)の「非常大権の発動を請ふ」が、1945年3月29日付で内大臣府に提出されており、首相にも参考に回されたことがわかる。
この文書の原本は入っていなかったが、請願書の一覧に記載があった。
最近出た『徳富蘇峰 終戦後日記』(講談社)にも似たような内容のことが書かれており、実際に徳富が意見書を提出していたことがわかる。
他にも、東条英機を内乱予備罪で告発するという投書(内部で却下されている)や「俺に首相をやらせろ」という投書などもあり、実際の私の研究には利用できなかったが、見ていて楽しい文書だった。

一番興味を引いたのは、静岡の竹山稔という人が書いた請願である。
1944年2月11日の日付が入っているこの文書には、自分が南朝の長慶天皇の末裔であること、国威宣揚祈願をしたこと、そして長慶天皇陵が京都府に治定されたことに対する遺憾の意が表されていた(要するに、自分の所に「本物」の陵があるということ)。
この竹山という人は、保阪正康の『天皇が十九人いた』(角川文庫)などに書かれている、戦後直後に現れる「自称天皇」の一人「竹山天皇」である。
保阪の本によると、竹山は昭和10年代にすでに宮内大臣宛に「われこそ天皇である」という手紙を出していたらしく、その後内大臣宛にも何度も手紙を出したらしい(前掲書31頁)。
つまり、これはその出したものの1つであるということなようだ。
このような投書もきちんと残っているのだなあと、驚いたことを覚えている。

書陵部のリストにある内大臣府史料は、内廷録の他に、進退録、行幸録、業務日誌ぐらいしかなく、どう見てもこれで全部でないだろうなというのが明らかである。
他に何を持っているのか、興味は尽きないのだが・・・


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