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天皇と中国副主席の会見問題 補遺 [天皇関係雑感]

前回の続き。
小沢一郎民主党幹事長が宮内庁長官発言に反発を行い、問題が拡大していっている。
気になったやりとりがあったので、ちょっとだけ追記。

小沢幹事長の記者会見発言…天皇会見問題
2009年12月14日21時26分 読売新聞
(一部のみ引用)

――天皇陛下の健康上の問題にかかわらなければ、1か月ルールはよろしいとの認識か。

 【小沢氏】1か月ルールというのは、誰が作ったんですか、というんですよ。

 ――なくてもいいものだと。

 【小沢氏】なくてもいいものじゃない。それ、誰が作ったか調べてからもう一度質問しなさい。私は、何でもかんでもいいと言っているんじゃないんだよ。ルールを無視していいと言っているんじゃないよ。宮内庁の役人が作ったから、金科玉条で絶対だなんて、そんなばかな話あるかっていうことなんですよ。天皇陛下ご自身に聞いてみたら、手違いで遅れたかもしれないけれども、会いましょうと、必ずそうおっしゃると思うよ。わかった?

 ――小沢幹事長が平野官房長官に、習副主席と天皇陛下の会見を要請したと報道されている。事実関係はどうか。また、天皇陛下の政治利用だという議論が起こっているが、どう考えるか。

 【小沢氏】君も少し、憲法をもう一度読み直しなさい。今、説明したじゃないですか。天皇陛下の国事行為、行動は、国民の代表である内閣、政府の助言と承認で行うことなんですよ。それじゃ、国事行為は全部、政治利用になっちゃうじゃない。諸君の理解がまったくおかしいんだよ、マスコミの。そうでしょ。何をするにしたって、天皇陛下は内閣の助言と承認でと、それは憲法にちゃんと書いてあるでしょうが。それを政治利用だといわれたら、天皇陛下は何もできないじゃない。じゃあ、内閣に何も助言も承認も求めないで、天皇陛下個人で行うの? そうじゃないでしょう。
(引用終)

これに対する、宮内官僚のコメント

国事行為ではない―宮内庁 中曽根氏にもルール説明
2009/12/16 21:21 【共同通信】

 宮内庁の岡弘文官房審議官は16日、自民党本部で開かれた「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」の会合で、陛下と習近平中国国家副主席の特例会見について「公的行為なので内閣の助言と承認は必要ない」と述べ、憲法上の「国事行為」に当たらないとの認識を示した。

 特例会見に関して民主党の小沢一郎幹事長は「天皇の国事行為は内閣の助言と承認で行われる」と強調。鳩山政権の対応は天皇の政治利用ではないと主張していた。
(以下略)

まず、前提として、前回の私の記事を読んでほしい。
簡単に要約すると、そもそも天皇の国際親善は全て政治的行為であり、時の政府によって「政治利用」されている。
だが、それを政府や宮内庁は「政治的でない」という「タテマエ」で行ってきた。
だから、今回の中国副主席との会合をごり押ししたこと自体は、それほど驚くことでもない。

さて、今回の小沢の発言は、私の書いたブログを追認してくれたようなものだったと思う。
つまり、「タテマエ」の裏にある「本音」を彼は語ったのである。

確かに小沢は天皇が外国要人と会うことを「国事行為」と間違った認識をしている。この点で「憲法を読め」という発言は明らかに小沢が間違っている。
つまり、「公的行為」という憲法に「書いてない」ことが今回問題になっているのだから。

だが、その「国事行為」という部分を「公的行為」という正しい言葉にすれば、小沢の言っていることはおおむね間違っていない。
これに対して、宮内庁の官房審議官が「公的行為なので内閣の助言と承認は必要ない」というのは、それだけを見ると「天皇は勝手に何でもやって良いの!」という反論に見える。
でも、前回のブログを読んでいただければ、これが官僚としての「タテマエ」論で反論しているということがわかっていただけるのではないだろうか。

つまり、「公的行為」というのは、「タテマエ」としては「非政治的行為」なのである。
だから、「タテマエ」としては「内閣の助言と承認」で動いているわけではない。
でも、小沢の言うように、「本音」では天皇の「公的行為」は「政府の助言と承認」でもって動いているのだ。

これまでの自民党政権は「タテマエ」だけを語って、裏で動くことで「政治利用」を行ってきたのである。
それが天皇の「政治利用」の「作法」だったわけである。
だが、民主党政権になって、その「作法」がきちんと引き継がれなかったということなのだろう。
その意味でも政権交代の影響が出ているということなのかもしれない。

でも、せっかくここまで問題になったのだから、天皇の「公的行為とは何か」「政治利用とは何か」という点について、議論が深まってほしいなあと私としては思う。

補足
小沢の「天皇利用」の部分が大きな問題となっているみたいだが、実際に一番問題なのは「天皇陛下ご自身に聞いてみたら、手違いで遅れたかもしれないけれども、会いましょうと、必ずそうおっしゃると思うよ。」という発言だと思う。

天皇は当然内閣の助言で動くんだから、依頼されたら「会う」。そこに拒否権はない。
でもあたかもそういった権限があるかのように話し、かつ天皇の権威を元に相手を論破しようとするのはいただけない。
この点が一番批判されてしかるべきではないのだろうか。

天皇と中国副主席の会見問題 [天皇関係雑感]

最近話題のこの問題。ちょっと長めですが新聞記事から引用します。

天皇会見、首相が強く要請 宮内庁が異例の経緯説明
朝日新聞 2009年12月11日22時54分

 岡田克也外相は11日の記者会見で、中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席が天皇陛下と会見することを明らかにした。15日午前の予定。宮内庁は陛下の体調への負担と相手国への公平性の観点から、外国要人との会見は1カ月前までに打診するよう外務省に求めていたが、今回の打診は1カ月を切った11月26日。官邸側からは今月7日と10日に「首相の指示。日中関係の重要性にかんがみて」と強い要請があったという。

 宮内庁の羽毛田(はけた)信吾長官は11日午後、急きょ報道陣への経緯説明の場を設け、憲法下の象徴天皇のあり方にかかわる問題との懸念を表明した。

 習氏の日本滞在は当初予定より1日短い14~16日で、14日午後に鳩山由紀夫首相と会談し、同日夜には首相主催の晩餐(ばんさん)会に出席する。

 外務省関係者によると、中国側から日中間のハイレベル交流の一環として、今年初めから「国家指導者」の来日を打診されていた。10月ごろに習氏のことであると中国側から説明を受け、あわせて天皇陛下との会見を希望していることも伝えられていた。

 中国の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席は1998年に副主席として来日した際、天皇と会見している。このため、中国政府は、胡氏の有力な後継候補とされる習氏にも同様の対応を求めた。外務省は中国政府に対して、この「1カ月ルール」を説明。日程を早急に連絡するよう繰り返し申し入れてきたが、中国側からの具体的な日程連絡が遅れたという。

 一方、宮内庁の羽毛田長官によると、外務省から宮内庁に初めて内々の打診があったのは11月26日。宮内庁はルールに照らし「応じかねる」と27日に返答したという。

 その後、12月7日に平野博文官房長官から羽毛田長官に電話で要請があった。断ると10日に再度電話で「総理の指示を受けての要請だ。ルールも分かるが、日中関係の重要性にかんがみてぜひお願いする」と強く要請を受けたという。

 羽毛田長官は「このルールの肝心なところは相手国の大小や政治的重要性で取り扱いに差をつけずにやってきた点だ。『ぜひルールを尊重してほしい』と官房長官に申し上げた」と強調。「現憲法下の天皇のお務めのあり方や役割といった基本的なことがらにかかわることだ」と述べた。

 天皇の政治的利用につながりかねないとの懸念を持っているのかとの質問に「大きく言えばそういうことでしょう」「陛下のお務めのありよう、役割について非常に懸念することになるのではないか」と述べ、「今後二度とあってほしくないというのが私の切なる願いだ」と異例の「訴え」を展開した。

 要請を最終的に受け入れたことについては「宮内庁も内閣の一翼を占める政府機関である以上、官房長官の指示には従うべき立場」とし、「誠に心苦しい思い。大変異例だが、陛下にお願いすることにした」と述べた。

 これに対し、鳩山首相は記者団に「1カ月ルールというのは存じ上げてはいた。しかし、1カ月を数日間切ればしゃくし定規でダメだということで、果たして本当に諸外国との国際的な親善の意味で正しいのか。私から官房長官に指示し、(陛下の体調と)両立できる解決はないかと申した」と説明。「政治利用という言葉は当たらないと考えている」と述べた。
(引用終)

さて、この問題、実はものすごく論じにくい。
新聞各紙を見ると、一様に「政治利用」の問題性を主張しているが、そもそも「政治利用」の定義があやふやなものが多い。
全部を網羅的に見ているわけではないが、たまたま見た時事通信の解説は、その定義をきちんとしている。

天皇の政治利用
時事通信 2009/12/11-23:37

 日本国憲法は天皇を「国民統合の象徴」と位置付け、「国政に関する権能を有しない」と規定。国会の召集、衆院の解散、外国の大使・公使の接受などの国事行為のみを行うとし、政治的行為はできないとされる。
 外国要人との会見は、友好親善のための「公的行為」との解釈が定着しており、政治的な行為とはみなされていない。ただ、鳩山由紀夫首相が「1カ月前までに申請」というルールの特例として、中国の習近平国家副主席の天皇陛下との会見を求めた理由について、平野博文官房長官は「日中の友好、重要な幹部だから」と日中関係の重要性を挙げた。
 これに対し、羽毛田信吾宮内庁長官は「相手国の政治的重要性、国の大小に関わりなくこのルールでやっている」と説明している。日中関係の重要性を特例の理由にすること自体、政治的な判断が働いているとの見方も成り立つ。宮内庁側が習副主席との会見を「公的行為」でなく「政治的行為(政治利用)」に該当しかねないとの認識を示している理由も、ここにあるとみられる。
(引用終)

この上で、私の考えを書いてみたい。

そもそも、この問題は「本音」と「タテマエ」をきちんとわけて考える必要があるということだ。
まずいくつか論点があるように思う。結論も明確にした上で書き出してみると、

1.1ヶ月前というルールを破って天皇と中国副主席の会見をごり押ししたこと。
⇒「政府の責任」でやると言う以上、なんら問題はない。

2.宮内庁長官が、自分の任命権者(つまり上司)である首相に逆らって会見を開いて批判を行ったこと。
⇒日本国憲法施行以後、宮内庁長官は「過度な」政治利用を食い止める役割を担ってきたという事実があり、現状ではやむを得ない。

3.鳩山政権が中国副主席というレベルの人と天皇を会見させることが、平等な扱いに反する。
⇒中国は地位と権力が必ずしも一致しない所があり、判断が難しい。過去に鄧小平は副首相で来日したときに昭和天皇の晩餐会に招かれている(中華人民共和国からの初の高官来日だったということもあるが)。胡錦濤が副主席の時に会っている話も上記引用の通り。


さて、この問題を理解するには、まず天皇の行為の3分類の話をしておく必要がある。

天皇の日常の活動については3つの行為に分けられる。

○国事行為
⇒憲法第7条に記載されている行為。首相の任命など。
○公的行為
⇒憲法には記載されていないが「公的」と認められる活動。国際親善や国体などの地方行幸啓など。
○私的行為
⇒プライベートな行為。友人と会うなど。宮中祭祀もここに位置付く。

さて、今回の問題は、この「公的行為」のカテゴリーにあたるものである。
この「公的行為」は、定義があやふやなため、以前から国会でその「範囲」が問題となってきた。

いま現在適用されている公的行為の「範囲」とは、1975年に当時の角田礼次郎内閣法制局長官が国会答弁で話した3原則が元となっていると思われる。

1.国政に関する権能が含まれてはいけない。(政治的な意味、影響を持つものは含まれてはならない。)
2.その行為については内閣が責任を取る。
3.その行為が象徴天皇としての性格に反してはならない。

(大原康男編『詳録・皇室をめぐる国会論議』展転社、1997年、75ページ)

今回問題となるのはこの1の部分にあたる。
しかし、これはあくまでも「タテマエ」であることを理解する必要がある。

そもそも、天皇の行為はプライベートなものを除けば、すべて「政治的行為」である。
たとえば、現在「政治的でない」公的行為としている国際親善は、その相手国との関係の強化に寄与しているわけだから、それはどう見ても「政治的」であるわけだ。
また、被災地に慰問に行くことも、被災地の人々の不満の軽減という要素はゼロではないわけだから、それは「政治的」なのである。

でも、それらを全て「政治的」と言ってしまえば、何もできなくなる。
そこで、「政治的」なものと「非政治的」なものを「タテマエ」として分けるということを行ったのである。
そして、その「タテマエ」には2と3という縛りをかける、つまり、「やるなら内閣が責任を取れ」「「象徴」である以上、国民の利益に反するようなことはしてはならない」という縛りがかかったのだ。(もちろん、直接的に天皇が政治的に権力を振るう(勝手に外交交渉を行うなど)ということは論外。)

それをふまえた上で、今回の中国副主席会見問題を考えてみる。
今回鳩山政権は、1ヶ月前に通知するというルールを無視して、会見をごり押しした。
これについては、「その行為が国民の利益につながる」と考え、さらにその行為について「内閣が責任を取る」という以上、手続き的に問題があるとは思えない。
ただ、それが「利益」となることについて、きちんと説明する義務を有していることは間違いない。

また、1ヶ月ルールを破るとその国を優遇しているように見えるから駄目だという宮内庁長官の意見は、「タテマエ」として正しい。
つまり、皇室は常に「等距離外交」を行わなければならないという「姿勢」を見せなければならない。それは、「国益上」必要なことである。
でも、本来、天皇の行為は内閣の助言と承認に基づいているというのもまた「タテマエ」としてあるので、それに従う必要もある(だから、長官が最終的に会見を了承しなければならなかった)。

なので、今回の宮内庁長官の発言は、対内的には「内閣が責任を取れよ」ということであり、対外的には、他の国に「決して中国だけを優遇しているのではない」というメッセージを発するためであったと考える。

そして、これに野党やマスコミが批判を加えるというのも必要である。
つまり、天皇の「過度な」政治利用の線をどこで引くかは、政権によって大きく異なるからだ。
だからこそ、野党やマスコミが政権批判の一環として、今回の強引なやり方を批判するのは不可欠だ。これによって、「過度な」政治利用を抑えることが可能になるのだ。

ただ、何というか、私には一つの「出来レース」的な感も無くはないのだ。

A 強引な天皇と中国副主席の会談
B それに対する宮内庁長官の苦言、マスコミの批判
  ↓
a 今回の問題はあくまでも「1ヶ月」というルールに反したから問題になっているということで中国側のメンツは守っている。その一方で、今後きちんとした手続きを踏まないで会見を要求することは日本の内政問題に関わるから困るよという釘もさしている。
b 長官が苦言を表することで中国以外の国に「中国を特別扱いしてない」とのメッセージを発している。それをマスコミが批判することで長官の苦言を後ろから支えている。


といった、対外的にはかなり丸く収まるようなことが、マスコミも含めてきちんと行われているという印象を受ける。
対内的には「内閣が責任を取って」行ったわけだから、今回の副主席との会談がいかに国益につながるかを説明できれば、話としては最終的にまとまる可能性が十分にある。

だが、もし、鳩山首相が問題にされることをしたとするならば、それは「天皇の体調を全く考慮しなかった」ということなのではないかと思う。
ただ、それもあくまでも「人倫」の問題としてであって、「政治的」な問題だと思わない。

でも、正直、今回は完全に中国側の手落ちだろう。1ヶ月前に予定を出していればそもそもこんなに問題にならんかっただろうに。日本側が手をさしのべて中国側のメンツを守ってやったというのが正確なところではないのかなあと。
なんだか、今回の会見が中国を助長させるということを言っている人もいるみたいだけど、逆にこれは次期の指導者に恩を売ったことになるんじゃないかなと思うんだが。

今回の騒ぎを見ていて、その「騒ぎ」方自体が「健全」だなあと思う。
天皇の「公的行為」の幅は、つねに「揺れ動く」ものである。
それを決めるのは時の政権、そしてそれを監視するのも野党や宮内庁、マスコミの仕事でもあるのだ。

また長くなりました。しかも、どう頑張って書いてもこの問題はわかりにくいんだよなあ・・・。

続きを書きました。→こちら

補足
なお、中国がいかに天皇と会うことにメンツをかけているかという話は以下の本が参考になる。
題名がトンデモ本ぽいので疑って読み始めたのだが、きちんと資料にあたって書かれたおもしろい本だった。

中国共産党「天皇工作」秘録 (文春新書)

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  • 作者: 城山 英巳
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小奈辺古墳(陵墓参考地)限定公開参加記 [天皇関係雑感]

12月4日に、宮内庁による奈良県の小奈辺古墳(陵墓参考地)の限定公開に参加してきた。

「限定公開」とは1979年以降、ほぼ毎年、宮内庁が陵墓の補修工事をやる際の予備調査(トレンチという溝を陵墓の周りに縦方向に入れる調査)の現場を、考古学や歴史学の研究者に人数を限って公開するというものである。
私は現代史の研究者なので直接は関係はないのだが、「陵墓問題は現代の問題でもあるので現代史の人も関わってくれ」という古代史の方からの要望があったので、天皇制研究者として興味を持って参加した次第。

さて、まずは位置の説明から。

konabe.jpg
小奈辺(こなべ)古墳は、近鉄奈良駅の隣駅である新大宮駅の北に位置している。佐紀盾列古墳群に属する。

元々は法華寺が所有していたが、明治の廃仏毀釈で財政難に陥ったため、1884年に隣の宇和奈辺古墳と併せて「元明・元正天皇陵」として皇室に寄贈されたものである。
ただ、調べてみると元明元正とは異なるということで天皇陵にはならなかった。ただ、大きい古墳だから皇族関係の墓かもしれんということで、、「被葬者不明」のまま宮内庁がキープしている古墳である。(このような古墳を「陵墓参考地」という。)

konabe02.jpg
さて、実際に発掘現場を見たのだが・・・
まあ案の定というか、全くわからんのだ。
考古学のイロハが全くわかっていないので、会話が宇宙語に聞こえる。

ただ、前にも書いたが、周りの堀に水が張られている古墳は、水による浸食が激しいということは素人にも理解できた。
konabe01.jpg
↑水に浸食された部分。この写真の真ん中に上からぶら下がっているのは埴輪。つまり埴輪の下がえぐれて無くなっている。

報告会で考古学の人が話していたことによると、昔は本当に補修に必要最低限の調査しか宮内庁は行っていなかったが、最近は対象の古墳ができた当初の正確な大きさなど、古墳の基礎的なデータを集めるような調査も平行して行っているらしいとのことだ。
でも、宮内庁の陵墓課の人であっても、周りを調査して直すことしか許されていないようで、上の方はほぼ手つかずということみたいだ。

さて、現代史研究者としては、正直、陵墓よりも隣にある航空自衛隊奈良基地の方が気になった。
上記の地図を見るとわかるように、小奈辺と宇和奈辺古墳のちょうど挟まれる形で自衛隊の基地がある。
ここには、航空自衛隊の幹部候補生学校がある(飛行場はない)。

この地に基地があるのは、1942年に厚生省西部国民勤労訓練所が設置されたことが始まりである。
西部国民勤労訓練所ができた時に、国策PR誌である『写真週報』にはその様子が掲載されている。
それによれば、「国民勤労訓練所の目的は、中小商工業者の整理統合によって転職する人々を収容し、立派な皇国民として、国家が必要とする優良な産業戦士となる素地を養ふことにあります」(『写真週報』第216号、1942年4月15日)
http://www.jacar.go.jp/shuhou/shiryo/shiryo05.html

戦後は米軍に接収されて1956年まで米軍基地になる。周りにはパンパン(売春婦)がいたりするようなところだったという。
返還後に自衛隊に移管されて、空自幹部候補生学校が移転してきたという経緯のようだ。

ただ、日米開戦前後に作られたという経緯から考えると、おそらくきちんとした調査を行わずに土地を収用した可能性が高いように思う(当時の新聞を見ればある程度わかるかも)。
橿原考古学研究所が1997年度に基地内部の発掘調査を行った結果、外周溝や埴輪列が確認されたという。
つまり、古墳の堀の周りにもう一つ堀がある(二重環濠)ということである。
どうやら自衛隊の基地は、小奈辺古墳の一部の上に建てられている可能性が高いようである。

基地の前には次のような看板が立てられている。
konabe03.jpg
最後の部分は、
当基地は、奈良市内の北部、旧法華寺領内に在り、平城宮跡北東、宇和奈辺・小奈辺の両古墳に接し、古代から天平の歴史を伝える多くの史跡に囲まれ日本人としての感性の陶冶、武人としての修練の場に相応しい環境に恵まれています。
一九九七年(平成九年)九月吉日 建立

と記載されている。

「接し」ではなく「上」かもしれないんだけどなと。

さて、他に気づいたことは、対応する宮内庁の職員の多さであろうか。
陵墓課の陵墓官には制服があるみたいで(ジャンパーもおそろい)すぐにわかるのだが、数えてみたら私たちの前後を固めていた人が11名(うち写真係1名)、受付2名、説明役1名、責任者1名の15名いた。
ちなみにこちらの人数は37名。
まあ信用されてないんでしょうね。

最後に、やはりこういった公開は研究者への「限定」だけではなく、一般市民への公開もしてほしいなと感じた。
もっと地元を巻き込んだ形での陵墓保存運動はあって良いように思う。宮内庁側もそのあたりは寛容に考えてほしいなあと改めて感じた。

追記(2010/2/6)
一部文章表現に不適切な部分がありました。関係者各位にはお詫びの上、訂正をさせていただきます。

天皇即位20年関係行事まとめ(写真) [天皇関係雑感]

やっとパソコンが修理から戻ってきたので、写真を取り込むことができました。
11月は天皇即位20年の記念公開などがいろいろとあって、何度も都心に行ってきました。

行ったもののリストは
・皇室の名宝展(東京国立博物館)1,2期
・天皇陛下御在位20年記念公文書特別展示会(国立公文書館)→レポート
・新宿御苑旧洋館御休所、菊花壇展
・天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民式典(11月12日)→レポート(前編後編
・御即位20年記念特別展(皇居東御苑)
・御即位20年記念「儀装馬車運行」(皇居東御苑)
・赤坂迎賓館前庭公開

なんだか半分ミーハーな感じもするが。
写真はso-netフォトを初めて使ってみました。



クリックするとフォトのページに飛びます。そこだと1枚1枚がどういう写真なのかの説明が付けてあります。
アップロードの新着順にしか表示できないので、やや見にくいかもしれませんが、さかのぼって見てください。

注記(2010/4/3)
so-netフォトのサービスが中止されたので、ひょっとするとどこかで上記の写真が見れなくなるかもしれません。時間があるときに対応します。

陵墓公開運動の現在 [天皇関係雑感]

11月23日に、陵墓関係16学協会主催のシンポジウム「陵墓公開運動30年の総括と展望」を聞きにいった。
私は諸々事情があって、半年前ぐらい前からちょくちょくこういった話の末席にこっそりと参加している。
ちなみに「陵墓」とは、簡単に言うと宮内庁が管理している天皇・皇族のお墓のことである。

「陵墓関係16学協会」というのは、日本考古学協会をはじめとした考古学や古代史に関係する16の学会の集合体である。
この16学協会がそろって宮内庁書陵部陵墓課と交渉することで、これまでさまざまな立ち入り調査(ただし宮内庁が指定したルートからは外れられない)などが行われてきた。
その陵墓公開の第1回があったのが30年前であり、その後毎年何らかの形で続いているそうだ。

私はこういった会合に集まる人というのは、先入観として、「陵墓が発掘されないのは古代史にとって大きな損失だから、天皇の墓であろうと掘れ!」みたいなことを言っている集団なんだと思っていた。
だが、行ってみるとどうやら全く雰囲気が違う。
今回のシンポでも改めて思ったが、学協会の主張していることは大まかに次のような感じになっている。(細かくは差異があるが)

・発掘は求めない。
・皇室祭祀に対して配慮を行う。


その上で

・立ち入り調査をさせてほしい。
→私にはよくわからないのだが、考古学の人だと地形とか植えてある木とかでいろいろなことがわかったりするものらしい。

・研究者だけでなく一般の人も入れるような機会を設けてほしい。
→そのためには文化財保護法の適用(一般公開が基本的に義務付けられる)を考慮してほしい。

・陵墓の修復はきちんと調査をした上で行ってほしい。
→現在宮内庁が指定している陵墓の区域よりも、実は大きい古墳というのもあるらしい(そういった周りの部分が住宅地となって破壊されたりしていることがあるみたい)。また、江戸時代の修復が原状とは違う直し方をしてしまっているものもあるらしい。

しかも、どうやら各地の陵墓はかなり自然崩壊してきていたりして、補修が必要なところがたくさんあるとのこと。(もともと陵墓の周りの堀の部分は水が入っていない空堀だったという学説も有力視されているようで、水の浸食が陵墓保存の大きな問題になっているらしい。)
でも、宮内庁には予算人員が足りなく、修理が追いついていないのだそうな。
そこまで意図があるのかはわからないが、文化財保護法の適用というのもこういった予算面の強化ということも含めたことなのだと思う。

なんというか意外だったのだが、宮内庁と学協会自体がずいぶんと仲が良い感じなのだ。
お互いにとって利益になるような共通点を探っているというか、そんな感じに見えた。

それに、そういった対応をしているので、皇室祭祀が古代から連続しているという説を普通に受容している人が多いように見えた。(もちろん連続しているものもあるが、明治以降に祭祀の再編が行われているというのは、パネリストだった高木博志氏を初めとして近現代史の方では主張する人が多いのだが・・・)

こう見ると、かなり保守派のほうからも受け入れられやすい方針に転じているのだなということがわかる。
ただ、いかんせんそういう政策をとっていることがあまり知られていないので、「掘るのはけしからん」みたいな反発を食うことが多いらしい。

この問題についてはいくら私が天皇制研究者でも、どうすべきなのかという点についてはまだあまりきちんとした見解を持ち合わせているわけではない。
ただ、こういった動きになってるんだなあということが興味深かったので、ちょっと書いてみました。

「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」参加記 後編 [天皇関係雑感]

「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」参加記の後編です。前編は。→こちら

後編では全体を見ての感想を書きたいと思います。やはり長い・・・。本当にごめんなさい。

○式典参加者数「3万人」の意味

主催者発表によれば、第2部の式典には「約3万人」の参加者がいたという。
でもこれはおそらくかなりサバを読んだ数だろうと思う。

まず、入場ゲートは3つに分けられていた。
Aを中心として、祝田橋(日比谷)方面がB、和田倉門(大手町)方面がCに分かれている。
このゲートを三つに分けている理由は、「主催者招待客」と「一般客」の区分けである。
BとCは直接二重橋が見えない位置にある。そのため一般客に割り振られる。
そして二重橋や舞台が見えるAは主催者招待客が位置づけられる。

理由はおそらく二つある。
一つは主催者招待客の優遇
まあ歌手のコンサートで言うと「前の方はファンクラブ会員しか席が取れない」みたいなことに近いか。
それに、映像に一番映りこむのがこのゲートから入った人たちである。だから、画面に映ったときに万歳とかしてもらわないと困るわけである。なので、日本会議関係や団体客を固めているということなのだと思う。
もう一つは、一般客の人数調整のため。
一般客は事前申込制なので最大人数が把握できる。そのため、申込数の分だけ端の方に席を用意しておき、あとの部分は、人数が当日にならないとわからない不確定な招待客の席にしてしまえばよいのだ。
sikitenm.JPG
配られたプログラムにあった配置図。これを見るとBCの不遇さがよくわかるし、また一般客の割合の少なさもわかる。

ちなみに、AとBCの違いを私は推測で言っているが、かなり確証のある根拠はある。
それは、Aゲートの入場者は、奉祝委員会が配布していると思われるビラの裏側に付いている「A」の印のある手書きで書き込める入場券を握りしめているからだ。
そしてその光景は10年前にも見たことがあるし、その時には実際に日本会議が機関誌『日本の息吹』にそのビラを挟んで会員に送っていたことも知っている(なぜ知っているかは秘密だ)。
たぶん今回も同じようなことをおこなっているものと思われる。

さて、ではBとCにはどのくらいの席が用意されていたのだろうか。
私はCにいたのだが、一緒に行った友人がBにいたので、色々と確認してもらった。
まず、各ゲートから入ると、大規模なコンサートで行うようなブロック分けがされていて、番号が付いている。
例えば、Cゲートからはいると、C-1から始まるパンフを渡され、そこに座るように指示される。
その一つのブロックは、縦14列×横10列で構成されている。つまり1ブロック140人ということになる。

そして、Bゲートは32ブロック、Cゲートは30ブロック用意されていた。
つまり、一般客は最大で8680人
そうすると、主催者発表で席は27000人用意したとあるから、Aゲートの席は最大で18320。そうするとブロックが130ということになるが、私がAブロックの脇から中を撮影した時に写っている一番手前のブロックがAの118なので、まあおおよそ当たっていると思う。

では実際にどのくらい埋まっていたか。
Cゲートでは17ぐらいまで。多少最後の方は中心に近い21や22の方に誘導していたみたいだが、やはり大目に見ても18が埋まるぐらい。つまり1520人ぐらい。
Bゲートの友人も正確にはわからなかったみたいだが、やはり6割から7割ぐらいだったようだ。7割と換算しても3100人ぐらい。
Aゲートはよくわからないが、録画しておいたフジテレビの番組で17:30の段階の会場の様子がざっと流れた時に、やはり7割埋まってないぐらいだった(レポーターも後ろの方は空席だとしゃべっていた)。
やはり、大目に見ても予定人数の7割が妥当なところだろう。とすると約19000ぐらいというところではないか。

何か自分で書いていて「ここまで詰めた数字を出さんでも」とか思い始めているけど、やり始めてしまったので最後まで。

つまり、主催者発表3万人というのは、用意した席27000人+来賓に用意した席2000+スタッフ1000人というところなのではないか。つまり「願望」が3万人なのである。
だが、本当のところは2万ちょいというところだろう。
まあそれでもよく集まったとは思うが。でも10年前は主催者発表6万人だったので、サバ読んでも半分というのは動員力の衰えということなのかもしれない。

○「若者へのアピール」に見る危機感

今回の式典、10年前と大きく違うのは「若者に何とかアピールを」という姿勢がかなり露骨に出ていたということだと思う。
確かに、前回もXのYOSHIKIを引っ張り出してきたり、SPEEDやGLAYを壇上に並べたりしたわけだが、プログラムとしては配慮があったとは思えなかった。
祝辞を述べるのも年配の人ばかりだったように思う。最後の万歳を叫んだ4名は森喜朗、北島三郎、森進一、星野仙一というメンバーだし。
前編で引用した10年前の記録集によると、安室奈美恵と田村亮子は一言言っているらしい(だが、発言はなぜか収録されていない)。
特にパフォーマンスに類するような演奏やダンスなども一切無かったと思う(記録集にもそういうものがあったとは書いていない)。

今回は荒川静香や高橋尚子といった若い女性にスピーチさせたり、小学生に演奏や演舞をさせて、あとでインタビューをして奉祝の言葉を言わせたりというようなパフォーマンスが多かったように思う。
絶対的な天皇支持層である年配層だけでなく、もっと若年層に何とか支持者を増やそうという意図は明確だった。
もちろんEXILEの起用もその延長である。

で、その効果であるが、こればっかりは何ともわからない。ただ後述するように、会場の一体感みたいなものは前回と比べて間違いなくあったので、それなりに天皇の権威を実感した人は多かったのではないかと思う。

○メディアイベントとしての式典

前回の式典は、明らかに「テレビ映り」を意識したものだった。
Aゲートの人だけに提灯と日の丸を配り、映像に映る参加者さえ熱狂的に天皇に万歳をしていれば良いといったような感じが強くあったように思う。
もちろん主催者側はそうは意図してなかったかもしれないが、前回もCゲートにいた私にとって、周りの状況と実際に録画してあったテレビの映像とのギャップに愕然とした記憶が強烈に残っているのだ。全く持って白けて君が代すら歌わないCゲートと、映像に残る提灯と旗の群れ。

まさに、タカシ・フジタニが『天皇のページェント』(日本放送出版協会、1994年)で昭和天皇の大喪の礼の葬列を沿道で見た時に感じたこと、つまり「今のテレビ時代、政府にしてみれば私たち見物人の目にページェントがよく見えるかどうかなどということは実に取るに足らない問題だったのである。」「路上にくりだした私たちは、テレビ番組の作成のために駆り出される、いわゆる「スタジオにお越しの皆様」とたいして違っていなかった〔中略〕私たちは、実はその見せ物の一部、つまり、テレビをみている観客によって見られる生身の小道具にしかすぎなかったのである。」(175頁)ということをまさに実感した出来事だったのだ。
しかも、Cゲートにいた私たちは、その「小道具」にすらしてもらえずに放置されたのである。

今回はどうなんだろうかと思い、前回は唯一式典の全てを中継した(録画した友人がそう言っていた)フジテレビだけを録画して家を出てきた。
さて、家に帰って録画したものを見てみると、今回はフジですら完全中継をしてなかった。(どうやらCSで完全中継をしていたらしい。)
他の局がどれだけ映していたかはわからないが、フジは要所要所は映していたと思う。

ただ、進行の遅れがもろに影響が出た。つまり本来なら中継が終わるはずの19時に儀式が終わらなかったのだ。
しかも、EXILEがちょうど歌っている途中でブッツリと。もちろんその後の天皇の「お言葉」の生中継もなしである。
前編で少し書いたが、いくつかプログラムを端折っても結局は間に合わなかったらしい。
ただNHKやTBSは19時台にニュースをやっているので、おそらくは放送できたのではと思う。
つまり、おそらくマスコミの中で最も天皇への忠誠心の高いフジサンケイグループのテレビが、一番おいしいところを放送し損なったのである。

何というか、これはメディアイベントとしては失敗だったのでは?という感じがする。
他の局がどれだけ力を入れてこの式典を報道していたかが私にはわかりえないが、おそらくフジよりは意欲が下ではないかと思うのだ。
つまり、おそらくほとんどの人は、あとでまとめられたほんの数分しかない映像を見て終わりだったのではないか。
一応、多くの人が日の丸と提灯を持って集まっていたということはわかるけど、果たしてどこまで視聴者にアピールできたのだろうか。

ただ、その一方で会場の一体感という点では明らかに前回と違いがあった。

○椅子席と写真撮影禁止の効果

これは両方ともどこまで狙ったのか全く想像がつかない。だが、この二つが明らかに会場の一体感を否応なしに上げる効果があったことは確かだと思う。
前回は椅子はなく、自由に立ってみていた記憶がある(たしか座り込みは禁止と言われていた記憶が。雨も降っていたし。)。
そのため、万歳をしているような熱狂的な人たちからは距離を置けば、第三者にいくらでもなることができた。

けれども、椅子をつなげて並べられると、そういうことはまずできない。とにかく「整然」としているのだ。
そして、到着順から席を詰めて座らされている。つまり、必ず「前後左右に誰かがいる」(しかも知らない人が)という状態になる。
すると、良くも悪くも、EXILEのファンや熱狂的な天皇支持者も何となく来た人も、全てが分断され、分解されるのだ。
しかも、あれだけ整然と並ばされると、必然的にあまり逸脱した行動を取りにくい心理状況になる。

つまり、周りが「万歳」していればそうせざるを得ないし、旗も振るのである。君が代も歌うのである。
もちろん、その場にいる人は日の丸君が代に少なくとも否定的な人はそれほどいるとは思わないので、学校のような心理的に追いつめられる人はいないだろうが、「空気を読んで」まわりと同じ行動を取るのだ。
10年前だと、特定の歌手のファンとかが騒ぎ立てるというようなことがあったわけだが、今回は少なくとも私が目に見える限りではそういったことは起きてなかった。
近くにいた子どもは、祝辞とかの時は飽きて砂利をいじっていたが、天皇皇后が二重橋に姿を見せた時、旗を一生懸命振っていた。
まさか椅子席にこういった効果があるとは全く思わなかった。これは新鮮な発見だった。

しかも、もう一つ効果があったのは、写真撮影の禁止だったと思う。
つまり、ビジョンを見ている以外にすることがないのだ。
いままで、様々な皇室儀式で沿道に並んで観察しているが、おおよそ沿道の人たちは写真を撮るのに夢中で、実際に目の前を通っている皇族を「奉迎」していないのだ。
今回はその意味で、参加者の視点(集中力と言った方が正確か?)が完全に式典に集中したのである。

ただ、友人のいたBゲートの方は、多くの人がカメラで撮影し始め、係員が止めきれてなかったということだった。
私のいたCゲートはそういう人がほぼいなかった。誰か周りがやっていたら私も撮影しようと思ったんだが・・・。一番端の席で警官が横にいたからなあ・・・。まあチキンなわけですが。
テレビ映像を見ても、参加者席を映した時にフラッシュが焚かれるようなことが見られなかったので、Aゲートの人たちも守っていた人は多かったのかなとは思う。
やはり、一部を除くと、写真撮影の規制はうまく行っていたのではと思う。

上記の意味で使えると考えて、この二つを主催者側がやったとしたら、これは大したもんだと思う。
でもおそらく「意図せざる結果」なのではとは思うが。

椅子席にしたのは年配の方に2時間立たせっぱなしは難しいということだろう。
また、写真撮影や録音の禁止は公式的には「テロ対策」らしいが、本音の所は、録音の禁止はYou Tubeを初めとした動画サイト対策だろうし、写真は肖像権関係(EXILE?)の問題の方なのかなと勘ぐっている。

ただもし私がイベント戦略を立てるのであれば、今回の映像をYou Tubeで公式配信する。
まあ本当に担当者だったら、写真録音OKにして、むしろ動画サイトへのアップロードとかブログとかで書いてもらうことを奨励するけど。

少し話が脱線したが戻すと、メディア戦略としては微妙。でも式典会場でのイベントは主催者にとっては成功だったのではないか。

私の思った感想はこんな所です。おそらく、思想信条を問わず、このイベントへのコメントというのは各雑誌で出てきたりするのだろうから、私とはどう見方が違っているのかは楽しみ。

追記
なお、写真が記事に入っていないのは、式典自体の写真がないというだけでなく、修理中のパソコンが戻ってこないので、デジカメのメモリーカードからデータが取り出せないだけです。
戻ってきた時には、写真集みたいにしてもう一本記事を書くかもしれません。

→写真掲載しました。こちら

「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」参加記 前編 [天皇関係雑感]

11月12日に皇居前広場で行われた「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」に参加してきた。
この式典は、日本会議や奉祝議員連盟が行っているもので、国の行事ではない。
だが、各省が後援をしており、首相も参列をしているので、かなり公的な色彩の強い行事であるとは言えるだろう。

私は10年前の即位十年の式典に参加している。その時はまだ学部の4年生で卒論を書いていた時期だった。
この式典に参加した時に受けた印象が、私なりの天皇制研究の原点になっている。

まず前編として、第1部からの感想を、天皇陛下御即位二十年奉祝委員会のウェブサイトにあったプログラムを貼り付けた上で、細かい感想を先に書いておきたいと思います。
後編では全体の分析を加えてみたいと思います。

青字は奉祝委員会のプログラム。黒字は私のコメントです。敬称略です。
書いていたらものすごく長くなって分割しようかと思ったのですが、それもおかしいなと思ってそのままにしてあります。申し訳ないです。

第一部 奉祝まつり
祝賀パレード 14:15(出発式)~16:30
奉祝渡御(お神輿の練り歩き)14:10(出発式)~16:30 


祝賀パレードは10年前に引き続きの開催。ただ前回よりも明らかに参加団体が減少している。
10年前の公式記録集である『天皇陛下御即位10年奉祝の祭典 全国奉祝運動の記録』(天皇陛下御即位十年奉祝委員会編・発行、2000年)によれば、参加団体の数は以下の通りだった(38頁)。

・音楽隊などの出演団体 9 →今回3
・郷土芸能の出演団体 26 →今回13(ただし、前回2つだった東京都内の神輿渡御が、パレードから独立して18参加。前回パレード参加の鬼太鼓座は第2部へ)

特に音楽隊の減少が著しい。前回は祝賀パレードにもいた陸海空自衛隊音楽隊は第2部のみに。前回いた警視庁騎馬隊や在日米軍の軍楽隊は不参加になっていた。
やはり当日を祝日にできなかったのはかなり手痛かったのではないかと思われる。

また、前回の記録集によれば沿道に3万人いたとのこと(39頁)で、今回も3万と主催者は発表しているが、明らかに今回は前回よりかなり少なかったのではないかと思われる。
パレードの出発地点にはかなり大勢の観衆がいたが、中間地点はかなりまばらか1重ぐらいしか人がいなかった。10年前の熱気から比べるとやはり少ないのではと思う。

またパレードの出発式も見たが、来賓あいさつが奉祝委員会の運営委員長と千代田区長という何とも地味な組み合わせだった。
ちなみに前回は、奉祝委員会だけでなく奉祝議員連盟の実行委員長も挨拶していたし、「参加者代表挨拶」ということで歌手の橋幸夫が挨拶していた。
神輿の出発式も別にあったようなのでそっちで議員連盟の実行委員長は挨拶していた可能性はあるが、いずれにしろ「関係者」挨拶しかなかったのは確かだ。
それに10年前にはテープカットもしていて、そこにはサッカーの井原正巳とか漫画家の松本零士とかいて、それなりに盛り上げようという意図があったように思う。全体的に前回よりパワーが落ちている印象。

お国自慢の全国郷土展

前回もあった。でも気になるのは、「全国46都道府県」って書いてあったこと。

「46」?
一つ足りないではないか。
出店を見ていたらわかった。ここには名指ししませんが(ここを見つけて右翼が抗議とかいったら困るし)。
私個人を知っている人にだけわかるように言うと私の実家のある県です。

でも近くで配布していたビラのあおり文句が「このように各都道府県が一同に会す郷土展は恐らく十年に一度、滅多にありません」っていうのはどうなのか。
この祭典しかありえないよということなんだろうけど。何か客を集めるのに必死みたいな感じがにじみ出ていた。
そして、各ブースはやる気のあるなしがかなり明確に分かれていた。
一番目立っていたのが、奈良県の「せんとくん」の着ぐるみだったように思うんだが。何も買わなかったけど、思わず写真だけ撮ってしまった(苦笑)。

第二部 祝賀式典

写真撮影・録音禁止だったのにはびっくりした。10年前はそんなことなかったのに。
理由はなぜですかと聞いたら「テロ対策」!と。
でもその場で警官立会の下でデジカメのシャッターを一回押していたので、そこまで確認するならテロもくそもないだろうと思うんだが。(だがこれが別の目的であった可能性もあるという話は後編にて。)

ゲートは3つ。詳しくは後編にて解説。私はCゲート。
入場者には式典の式次第と紙製の日の丸、奉祝提灯が配られる。
大規模なコンサートで行われるように、入場者をブロックごとに分けて整理しやすいようにしていた。

私はたまたまCブロックの一番右端の席に座れた。ちょうど全体を見渡せるからいいやと思ったのだが、これが誤算が。

寒い。

式典の途中で12度とアナウンサーが言っていたが、体感気温はそれ以下。
とにかく風が冷たい。しかも端なので人の壁もなく、完全に風が直撃する場所。
10年前は雨で寒かった記憶があったので防寒具はそれなりに持ってきていたのに、全然足りてなかった。まわりでも無料で配られたレインコートを雨が降っていないのに被っていた人がかなりの数いた。

16:52 振れ太鼓 演奏 鬼太鼓座

舞台は死角になっていて見えず。もちろん二重橋も見えない。オーロラビジョンを見るというのが基本的な視聴スタイルなのは前と変わっていない。
司会者は元NHKのアナウンサーの宮本隆治と久保純子。人選としては非常に無難。

17:00
開会宣言 平沼赳夫(奉祝議連実行委員長)
開会ファンファーレ 演奏 陸海空自衛隊合同音楽隊「雅の鐘」
国歌独唱 佐藤しのぶ(声楽家)


平沼赳夫はえらく健康を害しているような声の出し方をしていたのが気になった。
国家独唱の時は起立脱帽。

お祝いメッセージとご紹介(以下はマイクを持って話した人のみ抽出)

1) 天皇陛下の海外ご訪問国から
ヤドヴィガ・ロドヴィッチ(ポーランド共和国駐日大使)
2) 経済界から
豊田章一郎(日本経団連名誉会長)
3) 被災自治体から
平野祐康(三宅村長)
→久保アナが話を聞くという形式。次の星出氏も同様。
4) 学界・学術研究から
小柴昌俊(ノーベル賞受賞者)、星出彰彦(宇宙飛行士)、松山優治(東京海洋大学学長)
+学生代表がちょっと話していた。

まあ挨拶はこんなもんなもんでしょう。大使は前回は米国大使が来ていたので格落ちか。
(一応、サイパンには行っているから米国も訪問国ではあるんだろうが、さすがに相手の招待がなかった旅行だからしょうがないのか。)

奉祝演奏
1) 陸海空自衛隊合同音楽隊「祝典行進曲」「威風堂々」
2) 鬼太鼓座「屋台囃子」
(「打八丈」もやっていた)

今回は祝典行進曲を何度も聞いた気がする。天皇皇后の「御成婚」の時に團伊玖磨が作った曲。運動会とかでも普通に流れているから聞いたことがある人は多いのでは。
前回はあまり聞いた記憶がなかったがやはり結婚50年だからかなあ。
http://www.youtube.com/watch?v=bLY4FHqsdoM
↑You Tube上にとりあえずあったもの。

お祝いメッセージとご紹介
1) 芸能界より
森光子(女優)
2) スポーツ界より
荒川静香(トリノ五輪金メダリスト)、高橋尚子(シドニー五輪金メダリスト)
3) 野球界より
原辰徳(WBC代表監督)


スポーツの方が芸能より前に紹介されていた。
荒川静香と高橋尚子はスピーチが抜群にうまい。紙も持たずに前を向き、自分のアピールをうまく混ぜながら天皇を称えるというなかなか簡単にはできないスピーチをしていた。
この二人が数年後に自民党か民主党から参院選に出ていても全く驚かない。
なぜかWBC関係者でわが愛するベイスターズから村田と内川が出ていた。残り一人が西武の中島で、どういう人選なんだと思った。投手が一人もいないし。どういう基準で選んでいるんだろうか気になる。
ちなみに10年前の現役の野球選手代表は野茂と松坂。こう考えると松坂は10年もトップ選手なんだなとあらためてすごさを思う。

森光子は「皇太子さまお生まれになった」という現天皇が生まれた後に作られた奉祝歌をそらんじていた。
http://www.youtube.com/watch?v=xgDz0yhBNDc
↑You Tubeに原曲が上がっていた。

歌詞も微妙に間違っていたし、時系列がややおかしくなっていたが、音程は取れていた。すごい記憶力だなと思う。
ただ、私の祖母も数年前に天皇のことを聞いた時に、この曲を歌えたんだよなあ。ちょうどその時に小学校の先生だったらしく、学校で生徒と歌ったらしい。
奉祝歌は別にこれが公式のものではなく、民間でたくさん作られたのだが、この曲が歌いやすかったのか、一番記憶に残っているみたいだ。

18:00
奉祝演奏
1) 千代田区立和泉小学校ビッグバンドクラブIZUMI NOTES「ウッドチョッパーズボール」「ロックアラウンドザクロック」
2) 劇団こころ・疾風乱舞合同チーム「ハマコイ踊り」
3) 佐藤しのぶ(声楽家)「ねむの木の子守唄」
←演奏されず。時間が押していた?

子どもを使うというのは、こういう行事では良くある、というかむしろ戦前などではそれが標準か。
だが、前回の式典にはそういった趣向はなかった。こういったところにも若者になんとかアピールをという強い意志を感じる。
特に2のダンスパフォーマンスは流れ的に大きかったのかなと後から考えると思う。EXILEのダンスパフォーマンスの前座みたいな位置づけになったからだ。これを見ているがゆえに、EXILEへの違和感が薄れたのは確かだと思う。

奉祝曲に関するインタビュー←これも流されず。この時点で時間が10分以上押している感じだった。
秋元 康(作詞家)
岩代太郎(作曲家)


ここで受付で渡された提灯に火入れ。スタッフが着火用のライターを回していた。
このロウソクの火が暖かくて・・・。本当に寒さが厳しかった。

天皇皇后両陛下のお出まし
奉迎演奏 陸海空自衛隊合同音楽隊「平成の秋」
※両陛下は二重橋上にお出ましの予定


ここからは起立脱帽。

主催者祝辞 岡村 正(奉祝委員会会長)
内閣総理大臣祝辞 鳩山由紀夫(内閣総理大臣)(予定)


「予定」だったみたいだが、オバマ大統領がこの日に来日しなかったからか、ちゃんと来れたようだ。

天皇陛下御即位二十年奉祝曲 歌 EXILE(14名)

曲は「組曲「太陽の国」」。演奏はオーケストラっぽかった?(管弦以外の楽器もあったので正確にはオケではないと思う。)
第1部が「太陽の種」で演奏のみ。
第2部が「太陽の芽」でEXILEの12名によるダンス。
第3部が「太陽の花」で残りのメンバー2名による歌。

以前にも書いたが「なんでEXILE」という疑問はあった。
でも、正直、この構成をパンフで見た時に「なるほどこういう手があるのか」と感心した。

実際に見て思ったが、「上手なダンスパフォーマンス」を見て「上手な歌」を聞いたという感じなのだ。
つまり、ダンスと歌を分けたことによって、EXILEの持っている「軽さ」のようなものが薄くなったように思う。
その意味では、年輩の方が置いていかれるというようなこともなく、パフォーマンスとしては全年齢楽しめるようなものになっていたのではないかと思う。
あえてEXILEの本来の特徴(歌とダンスの融合)を消すことによって、受容されやすいパフォーマンスを作ったのだ。(これはサングラスやピアスを外し、髪のそり込みを止めたということともつながりがある。)

これはやるなあと思わざるをえなかった。
前日の朝日新聞に、EXILEを呼んだのは昨年レコード大賞を取ったからという主催関係者の談話が載っていたが、まさしくこれが本音なんだろう。
つまり、「EXILE」というパフォーマンサーでなければならない理由はなかった。
「有名」(特に若者に)であり、「華」があり、しかも芸能界の「お墨付きもある」人であれば良かったのだ。
だれが来ようと、それをある一定の型にはめてしまえば、逸脱することもない。そういうことだったのだ。
その意味では、見た目はあまり天皇制と親和性のないEXILEを型にはめたというのは、主催者側がどこまで狙ったのかはわからないが実にうまいなあと感心したのだ。(それにEXILEの側もその型にはまることに違和感のないグループでもあったということでもあるだろう。)

なお、この曲の「太陽」は「天皇」のことである。
歌詞はまだネットにはあまり上がっていないみたいだが、途中を少しだけ紹介すると

太陽は変わることなく輝いて 青い空 両手を広げ そのぬくもりを平等に与えてくれる
光の花 降り注ぐ 生まれた国 いつまでも忘れない


歌詞と主旋律が載っている楽譜が会場では配布されていた。歌詞を見ると、直接に「天皇」とは出さず、それを「太陽」と置き換えることで、かなり歌いやすい曲にしていると思う。
また、「太陽」と置き換えることによって、直接的な奉祝表現が間接的に見えるようになっていると思う。
何というか、「大衆化した奉祝歌」ってこんな感じだろうなという型を見せてくれたように思う。

国歌斉唱 演奏 陸海空自衛隊合同音楽隊

まわりはきちんと歌っていた。これは10年前と大きな違いだなと思う。10年前の状況は以前少し書いた。詳しくは後編で。

天皇陛下のお言葉

最後に「少し冷え込み、皆さんには寒くはなかったでしょうか」という言葉をすっと入れるのはさすがだなと思った。
10年前も雨が降っていた時に「濡れて寒いのではないかと心配しています」と話していたし、こういった国民へのメッセージを発する時の目配りの仕方はまさに「職人芸」だと感じる。
あの発言で、寒くて文句を言っていた会場の人たちのなかには救われた人も多かったのではと思う。

聖寿万歳 森 喜朗奉祝議連会長

10年前は、4人ぐらい出てきて次々と万歳を言っていたので、なんだか間が悪い感じだったが、今回は一人だけだった。

両陛下ご退出
奉送演奏 陸海空自衛隊合同音楽隊「平成の秋」


この時に司会者なのか誰かよくわからないが、ずっと「天皇陛下万歳 天皇皇后両陛下万歳」とマイクから絶叫して参加者に万歳をさせていたのが印象的だった。
Cゾーンになると万歳というよりは旗を振っていた人の方が多かったような印象。万歳という行為は目の前に相手がいるとやる気になるが、画面相手にやるのはどうも違和感があるという感じなのかなと思った。

19:00 閉会宣言

10分以上オーバーして終わった。
一気に帰られると整理上困るからといって、順番に退出させようとしていたが、Cゾーンの人たちは全くそれを聞く気配も無く、速攻で帰途についていた。
正直、寒さで厳しかったんだと思う。

以上がプログラムに沿って見ていた感想です。全体の解説は次回。
後編はこちら

国立公文書館の展示会へ行く [天皇関係雑感]

最近、更新がやや滞っております。原因はパソコンを修理に出しているために、9年前に買ったパソコンを使わざるをえないという極めて物理的な問題からです。遅い(泣)
戻ってきたら、公文書管理問題についてどのような動きがあるのかもきちんと調べてみたいと思います。

さて、10月31日からやっている国立公文書館の「天皇陛下御在位20年記念公文書特別展示会」に資料調査のついでに行ってきました。

・・・まあ何というか。一言でいうと「あんまり面白くない」
閣議に上げられた形式的な決裁書だけがひたすら並んでいるというだけで、文書として面白いものがない。

これは理由としては簡単な話で、天皇関係の主要な公文書は、宮内庁の各部署が持っているか、宮内庁書陵部に移管されているためであり、国立公文書館には内閣府の閣議関係の文書ぐらいしか回ってこないのだ。
なので、正直、展示を考えた人も「これしか国立公文書館にはないんだからしょうがないよ」と開き直って、決裁書を並べまくったのかなあと推測。
ただ、「公文書管理法」の御署名原本が展示物にあったのにはちょっと感慨深かった。
でも、せめて公文書として、もうちょっと目玉になりそうなものを宮内庁から借りてこれなかったのかとは思うが。

さて、来週は20周年記念式典があります。当日の式典参加のための入場証も手に入れました。
ちなみに、今回も10年前と同じく、ゲートを3つに分けているようです。私はCゲート。
中がつながっているかは注目点の一つです。

10年前の記憶だと、二重橋前の特等席(+テレビに映る所)には、日本会議からの招待客(Aゲート)が割り当てられていたはずです。
ちなみに10年前もCゲートでした。その時も坂下門あたりで、巨大なオーロラビジョンを見ていた記憶があります。
今回もそうなのでしょうか。色々と観察して、レポートをブログに上げようと思います。

岡田外相、天皇の国会開会式発言への注文問題について [天皇関係雑感]

昨日の朝日新聞の記事。引用します。

国会開会式のお言葉「陛下の思いを少しは」 岡田外相
朝日新聞 2009年10月23日13時34分

 岡田克也外相は23日、閣議後の閣僚懇談会で、国会開会式での天皇陛下の「お言葉」について、「陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただくような工夫はできないか考えてもらいたい」と提起した。これに対し、平野博文官房長官は「意見は承った」と引き取った。国事行為である国会召集の際のお言葉に、天皇の考えを盛り込むことを促した発言で、波紋を広げそうだ。

 この日の閣議では、26日の臨時国会開会式での天皇陛下のお言葉を決定した。岡田氏によると、閣僚懇では「過去の例を見ても、私の記憶では大きな災害があった1回を除いてはすべて同じごあいさつをいただいている」と指摘。「政治的な意味合いが入ってはいけないなど、いろいろ難しいことはある」としながらも、「陛下にわざわざ国会まで来ていただきながら、同じあいさつをしていただいていることについて、よく考えてもらいたい」と提案したという。「従来から考えていた」とも述べた。

 国会開会式のお言葉には、「国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、その使命を十分に果たし、国民の信託にこたえることを切に希望します」などのくだりが例年盛り込まれている。
(引用終)

まあ正直なところ、何でそういう問題提起を、難問が山積している時期にやるんかなという感じだ。

とりあえず、ではどういうことを天皇は開会式で話しているのか、昨年と今年の計4回分を宮内庁のHPから引用してみる。

第169回国会開会式(通常国会)
平成20年1月18日(金)(国会議事堂)

本日,第169回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

第170回国会開会式(臨時国会)
平成20年9月29日(月)(国会議事堂)

本日,第170回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

第171回国会開会式(通常国会)
平成21年1月5日(月)(国会議事堂)

本日,第171回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

第172回国会開会式(特別国会)
平成21年9月18日(金)(国会議事堂)

本日,第172回国会の開会式に臨み,衆議院議員総選挙による新議員を迎え,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。
(引用終)

たしかに、全く同じと言って良いだろう。
特に通常国会の開会式は「回数」以外は一言一句変わってない。

だが、このような形式的な発言をしているにはもちろん理由がある。
天皇は日本国憲法によって政治的には実権を持たない(内閣の助言と承認が必要)ことになっているわけだから、国会という国権の最高機関においての発言は、できる限り形式的に済まそうという配慮がなされているということなのだと思う。
(ただ、この「お言葉」の変遷過程をきちんと追ってみるのは面白いかもしれないとは思う。時代によって変化がある可能性は否定できない。)

もちろん、岡田外相も「政治的な意味合いが入ってはいけないなど、いろいろ難しいことはある」と言っている以上、政治的な発言を天皇に期待しているわけではないだろう。
だが、そうなると一体どういった言葉を求めているのか良くわからない。

確かに、植樹祭など、その他の行事では、天皇がある程度裁量で「お言葉」を述べていることは良くある(これ自体を「国事行為」から外れる行為としてけしからんという人だっている)。
だが、国会という、国で最も「政治的」な場所での発言ということを考えれば、「自分の言葉で」といったとしても、いいところ修飾語を変えるあたりが限界だと思うんだが。
岡田外相が持っている理想の「お言葉」のイメージがいまいち判然としない。

民主党は天皇に対して「辛い」という保守派からの批判を気にして、自分たちなりに天皇に敬意を持っているとでもアピールしたかったんだろうか。
毎日新聞では、官僚政治批判(宮内庁批判)と報じられているようだが、何か宮内庁の体質を変えようとして批判しているというのであれば、そもそも外務大臣が発言する話ではないし。

どうも政治的意図が漠然としていてよくわからない。
たぶん、臨時国会の開会式が近いから、何となくのノリで昔から持っていた素朴な疑問をしゃべってしまったんだろうということなんだろうなあ・・・

ただ、こういう発言がなされると、すぐに「不敬」とかいって騒ぐ人がいるけど、そういった議論することを端から拒否するような批判の仕方もどうかなと思う。
別に「お言葉」をどう考えるかという議論をすること自体は悪いことではない。
まあどう見ても岡田外相の議論の立て方には無理がありすぎることは否定しがたいが。

EXILEが天皇即位20年奉祝曲を歌うことについて [天皇関係雑感]

一昨日の記事。引用します。

EXILEが天皇陛下ご即位20年奉祝曲
10月8日16時47分配信 産経新聞

 天皇陛下ご即位20年を祝って皇居前広場で11月12日に行われる「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」で、人気グループ「EXILE」(エグザイル)がオリジナルの奉祝曲を歌うことが8日、分かった。「川の流れのように」などで知られる作詞家、秋元康さんが詞を担当したという。

 国民祭典は民間の奉祝委員会(会長・日本商工会議所の岡村正会頭)と奉祝国会議員連盟が主催。同日には政府主催の記念式典も行われる。ご即位10年の平成11年11月の国民祭典では、ミュージシャンのYOSHIKIさんが、自ら作曲した奉祝曲を両陛下の前で演奏した。
(引用終)

なぜにEXILE?

ついに保守派も血迷うたかという感じだ。
ちなみに、よく勘違いされるが、これはあくまでも「民間」の催しである。基本は国会議員と、日本経団連・日本商工会議所・日本会議あたりが中心となっている。後援に色々な省庁が入っているが、あくまでも「後援」というレベルに留まっており「主催」には入っていない。→奉祝委員会のウェブサイト

正直、10年前のYOSHIKIの起用とは比べものにならないぐらいの意外性だ。
それにYOSHIKIは、ピアノとオーケストラでの演奏であり、今回の歌とダンスというのとは全く異なる。
おそらく若者を呼び寄せようという考え方なんだろうなという意図はわかるが、余りにもそれ以外の世代の人達を置いてきぼりにしていないか。

しかも、若者ウケを狙うのであれば、もうちょっと別の選択肢はあるんじゃないのか?
どなたかがブログで、平原綾香や平井堅あたりならわかると書いていたが、私もそれならわからなくはないかなと思う。


実は、私は10年前の「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」の時、皇居前広場で式典に観衆の一人として参加していた。
ちょうどその時私は卒業論文を書いている頃で、象徴天皇制と国民との関係について研究しており、どのような式典になるのか興味があった。

この時の話は色々と面白くて書きたいことはたくさんあるのだが、ただ一つだけ言えることは、「特定のアーティストのファンを連れてきて参加人数を増やしたとしても、それがマイナスに働く場合がある」ということだ。

私が立っていたのは二重橋を正面にして右側の「Cゾーン」と言われるところで、一般参加者が巨大なオーロラビジョンを見て式典に参加するという形式だった(天皇皇后のいた二重橋は全く見えなかった記憶がある)。
周りには確かに自分と同世代の若い人達がかなりいたように記憶している。

だが、彼らは切り替わっていくオーロラビジョンの映像に一喜一憂する人達でしかなかった。
例えば、「君が代」斉唱の時、画面はSPEEDやGLAYといった人気のアーティスト達を映すときがあった。
その瞬間に、周りから「キャー」とか「ウオー」とかいった叫び声や、アーティストの名前を叫ぶ声が飛び交い、周りで君が代を歌っていた年配の人達は、興を削がれたように苦笑していたのである。
そこには、全く厳粛な雰囲気もなく、ただ雑然とした雰囲気が漂っていただけであった。

確かに、人気アーティスト達が祝っている天皇への敬意を増した若者はいたかもしれない。
だが、明らかに、儀式そのものは何の感動も与えないものになったことは確かだったと思う。

しかも、今回はEXILEだ。
どうみても、年配の方は「ポカーン」として、若者は絶叫してただのファンと化す姿が今から想像できる。

一体、奉祝しようとしている保守派の人達は、何を狙っているのだろうか。
何というか、「人気がある奴を連れてこれば注目も集まるしいいんじゃないか」みたいな安直な発想が透けて見えるのは気のせいだろうか。

今回も、奉祝委員会は、式典参加者を事前申込み制にするみたいだ。また申し込んで行ってみる予定。(10月23日まで)
だが、結局当日を祝日にする法案は廃案になったままであるということを考えると、当日の人出などは10年前と比べるとかなり少なくなるかもしれないなと思う。

どうなるんだろう?色々な意味で楽しみだ。
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