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日韓会談文書裁判のすばらしき結果 [訴訟関係]

12月26日、「日韓会談文書・全面公開を求める会」が、外務省が日韓基本条約関係の文書に対する情報公開請求に対して、公開まで2年をかけることは不作為であるとの違法確認を求めた訴訟に対し、東京地裁はその違法性を認定する判決を出した。

以下記事引用(強調は引用者がつけたもの)。

外務省の開示決定遅れ「組織的な怠慢」 東京地裁

2007年12月27日00時46分

 外務省が公文書の開示請求に対して1年7カ月たっても開示するかどうかの決定を出さないのは違法だ――。日韓の歴史研究家ら10人が国を相手に起こした訴訟で、東京地裁(杉原則彦裁判長)は26日、同省が「組織として必要な措置を怠った」と認定し、対応が違法であることを確認する判決を言い渡した。

 原告らは06年4月、51~65年の日韓国交正常化交渉に関する公文書の開示を求めた。判決によると、外務省は3万6千ページ以上あるとみられる文書のうち、今年11月までに約6800ページ分を開示したが、残りは開示決定を出していない。国側は「量が膨大で限られた予算や人員では専従の職員を確保するのは難しい」などと主張していた。

 杉原裁判長は、同じ文書の一部に対する開示請求が過去にあったことを挙げて「前例や成果を利用して期間の短縮に努めることができた」と指摘。「外務省はほかの行政機関と比べても長期間を要する件数がきわめて多く、速やかな開示決定のための取り組みが不十分だ」と苦言を呈した。

 今回のように「歴史的価値のある文書」の開示請求に対する具体策についても言及。「紙質などの点から損傷しやすいのならなおさら、あらかじめマイクロフィルムや電子データ化するなどしておくべきだ」と述べた。
(朝日新聞)
→他の記事は、上記の事務局の記録に貼り付けてあるので参照→ココ

これは画期的な判決だ。
まず、外務省が情報公開法第11条に基づいて自らが設定した延長期限を、まだ超えていないにもかかわらず、そこを「違法」と断言したことである。
私の裁判では、その延長期限を3年以上も超えていたにもかかわらず、宮内庁内部の事情からやむを得ないとの判決が出ていたわけだから、全く真逆どころか、それを遙かに超えた判決になった。
なんといっても、外務省の内部の体制の不備を叱りとばしている所などは、痛快きわまりない。

また、「歴史的価値のある文書」についての保存方法にも言及があるようであるし、裁判長が完全に原告側に立った判決文となった。
ここまでの判決になると、おそらく外務省は控訴してくるのではないかと思われる。
外務省特有(長期間を要する件数が多い→平成17年度は1002件の請求の内、11条適用(60日以内に出せなかった件数)が585件と過半数を超えていた)の現象でもあるが、他の省庁への影響も十分に考えられる(防衛省も同様の状況にある)。

しかし、なぜここまで私の判決と全く逆の判決になったのだろうか。
これは、裁判長の資質の問題があると思うが、それ以上に「不作為の違法確認」の判決が出たことにあると思われる。
私の場合は、結局文書がすべて開示されてしまったが故に、国家賠償の部分にしか判決が出なかった。
今回の日韓文書の場合も、国賠を求めており、それはどうやら認定されなかったようなので、その意味では私の判決と同じ結論は出ている。
だが、「不作為の違法確認」の判決が残ったことが、今回の画期的な判決を導き出す結果につながったのだと思われる。

また、背後にきちんとした団体がいたことも大きかったのかもしれない。
私は、請求そのものが自分の利益のためでもあったし、運動にするよりも情報公開制度そのものをきちんと問いたいというのがあって、情報公開クリアリングハウスの力は借りたが、実質背後に支えてくれる市民運動は存在しなかった。
日韓文書の場合は、きちんとした組織体をとって、裁判所に圧力をしっかりとかけていた。
実は私もこの会の会員ではあるのだが、そういった圧力のかけ方に対して違和感があったこともあって、このブログでは特に取り上げることはしてこなかった。

だが、結果を見れば、どちらのやり方が結果を残したかは一目瞭然である。
私が裁判を起こしたとき、ある人から、「裁判官も人の子で、傍聴席に大勢支援者がいたりすると相当に緊張感を持つが、そうでないときはおざなりの行政におもねた判決を安易に書くことがあるよ」と言われたことがある。
結局はその通りだったのかもしれない。

まだ判決文がHPにアップされていないので、何が認められて何が認められなかったのかはわからない(不開示部分の開示も求めていたはずだし、認められなかった部分もかなりあったのではないか)。
総合的な分析は、それがアップされてから考えてみたい。

年内の更新はこれで最後です。
今年は色々なことがありました。自分の判決もあったし、福田内閣の成立で公文書政策が動き始め、そして最後に外務省を痛烈に批判する判決という嬉しい結果ももたらされた。
来年も、情報公開や公文書政策が推進されることを願いたい。
一年間ご愛読ありがとうございました。


控訴断念 [訴訟関係]

本日が裁判の控訴期限ですが、近藤先生と話し合った結果、控訴を断念することになりました。
理由は、最終結果が変わる可能性が極めて薄いということです。

今回の判決の問題点については、2週間前のブログで書きましたが、この部分のみを変えるために労力をかけることにどこまで意味があるのかを考えてきました。
ですが、裁判はあくまでも勝利を目指さないといけないもの。そういう世界ですし。
今回の判決については、勝ち負けについてはひっくり返らない可能性が高いと判断しました。

それに、こちらはあくまでも資料の開示速度の問題を重視していたわけで、損害賠償を取ることにさしたる重要性を置いている裁判ではありませんでした。
不作為の違法確認は、すでに書いたように残りの文書が開示されると取り下げになる=損害賠償をつけないとその場で裁判が終わる=むこうが裁判を遅らせた上で無理矢理開示決定を行ってくる可能性がある、ために付けていたものです。

また、問題の判決文は、宮内庁が主張していたことではないことも、断念する理由でもありました。
つまり、この判決部分は宮内庁の不可抗力であり、その部分を変えるために宮内庁とやり合うのも、あまり気が進まなかったということもあります。

この判決が前例にならないか気になりましたが、明らかな情報公開法の理解不足である判決であること、また地裁での判決は、高裁や最高裁の判決ほどの重要性を持たないし、さらにもしこの判断が高裁で追認されれば、もっと厳しいことになり、そのリスクを考えたときに、地裁でとどめておいた方が無難だろうということもありました。

よって、控訴を断念することにしました。この判決が将来的に変わってくれることを望みたいと思います。
裁判についての総括は、落ち着いたらきちんと書き残そうと思います。

このブログはそもそも裁判の進行状況を知らせるためのものでしたので、当初の目的は終了したわけですが、公文書関係と皇室関係の問題についての私の見解・解説を述べるブログになっていることもあるので、このまま残して、細々と更新していこうと思っております。

これまで、この裁判を支援・注目していただいた方に感謝を致したいと思います。
どうもありがとうございました。


判決文をアップロードしました [訴訟関係]

判決文をホームページにアップロードしました。解説付きです。
全体の裁判における感想は、控訴するかどうかによって変わりそうなので、それはまた後日ということになるかと思います。

前回のブログを読んだり、判決文を読んだ色々な方から、「これはひどい」という反応がいくつも返ってきています。
そういった反応だけでも助かります。自分にとってはかなり堪えた判決だったので。
控訴するかはまだ検討中です。


最悪なる結末 [訴訟関係]

本日12月7日、13時25分、東京地裁606号法廷にて、不作為の違法確認等訴訟の判決がありました。
当然初めて判決というのを聞くのだが、民事訴訟というのは主文しか読まないみたい。(刑事訴訟のような、裁判長が長々と演説するものだと思っていた。)
なので、みな傍聴席に座った状態で、主文を5秒で読み、あとは判決書をもらって確認をするという形であった。
ものすごく早いので、びっくりした。

判決文はHPに載せます。解説を書いている途中で、HP用に使っているパソコンがフリーズしたので、また後日アップします。

さて、以前のブログですでに書いたように、不作為の違法確認の部分は、文書が全て開示されてしまったので取り下げになった。
そのため、損害賠償請求の部分に判決が下されることになった。

こちらとしては、損害賠償が認められる可能性は過去の判例からほぼなかったので、「事実認定として宮内庁の行為に問題があるけど、損害賠償にまでは至らない」というのが、望むべき判決であった。
しかし、そんな望みは空しく、判決は想定しうる中で最悪の結果を描いた。

まず、事実認定をしてもらえず、賠償に値する精神的損害があるかどうかという判断のみがなされた。
これについては、まだわからなくはない。
問題は、その判断のされかたである。
文章をそのまま引用する。(強調は引用者)

そこで、本件において,まず遅延した処分により影響を受ける権利利益の内容や程度について見るに,そもそも情報公開法に基づいて文書の開示等を受ける権利は,国民主権の理念にのっとり,公正で民主的な行政の推進に資することを目的とするもの(同法1条)ではあるが,平成13年4月1日に施行された情報公開法によってはじめて具体的な請求権として認められたものであり,開示請求に対する決定の遅延自体が,直ちに国民の生命,身体等の重篤な法益に影響を及ぼすものではないそして,本件の対象文書は,昭和20年から昭和27年に作成された皇室関係の資料であって,それらの資料の開示が,直ちに情報公開法が目的とする公正で民主的な行政の推進に資するとは言い難いばかりか,むしろ,同法2条2項2号が,国民への説明責任という同法の趣旨に鑑みて情報公開の対象外とした「歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料」に類するものともいうべきであって,原告が,本件の開示請求によって決定を得ようとする権利は,そもそも情報公開法の前示の理念や目的に直接資するものであるのかどうか疑問が残るものである。

つまり、判決はこう言うのである。
まず情報公開法に基づく開示が遅れることは大した権利侵害ではないということ。
次に、請求している文書が「皇室関係の古い資料(昭和20~27年)」であり、その公開は情報公開法が想定した「公正で民主的な行政の推進」にはあたらないから、私の開示決定を得ようとする権利は「法の理念や目的に直接資するものか疑問」である。
そして、その理由として、請求している資料は、情報公開対象外の歴史的文書に類するものであるからだと言うのだ。

これはひどい。
まず、「現用文書」として宮内庁が持っている以上、それは情報公開法の対象であることは間違いない。
そして、現有している以上、その内容がどういうものかによって、法の理念うんぬんは関係ないはずだ。
また、現用文書を「歴史的資料」に「類する」などという概念は、そもそも情報公開法からは導き出せない。
「歴史的資料」であるなら、それは国立公文書館(宮内庁書陵部)に移管して、そこで開示されることが前提となっていなければならない。
それを宮内庁がしていないことについては一切触れず、私の請求した文書が悪かったとでも言わんばかりだ。

また、「皇室関係の古い資料」=その公開は「公正で民主的な行政の推進」とは関係ない、というのだ。
なんでそういうことが断定できるのか。
宮内庁がその資料を「現用」している以上、それは現在の行政と関係があるということではないのか。

しかも、判決文のその後の部分を読むと、宮内庁側の意見を全面的に採り入れており、当方の意見は全く受け容れられていない。
これでは、宮内庁の開示の遅れたこと自体も正当化されてしまう。
判例としては「国家賠償」に関わる判決であり、遅れたことの正当化の部分は、「不作為の違法確認」の判例にはならないので、他の人への影響は少ないのはまだ救いだが、私自身の精神的な衝撃は余りにも大きい。
自分が正しいと思ってやってきたことを、裁判所に否定されたに等しい。

今回の判決によって、やはり公文書管理法の制定と国立公文書館の拡充が絶対に必要であるということを改めて思い知らされた。
情報公開法は、現在、リアルタイムで作られている公文書の開示を目的とされた法律であり、古い文書をどう位置づけるかについて、きちんと考えられていないのだ。
裁判官ですら、古い文書の開示が、情報公開法の現有の行政文書開示の理念と合わないと言ってしまうのは、その証拠でもある。
情報公開法がそもそもそういう法律であるのだとすれば、古い文書をきちんと移管させて公開させる制度が必要なのだ。

控訴期限は2週間後までなので、そこまでに控訴するかは近藤先生や情報公開クリアリングハウス等との話し合いで考えることになった。
どうするかはまだわからない。しかし今回のはものすごく凹んだ。


訴訟資料アップロード完了 [訴訟関係]

宮内庁側からの最後の準備書面(9)が届きましたので、HPにアップロードしました。
内容的にはさして重要ではないです。もう論点は出尽くしたという感じです。

これでラストです。あとは判決を待つのみ。さてどうなりますやら。


訴訟の証拠資料公開 [訴訟関係]

訴訟の証拠資料の重要なものをPDFファイルにしてアップロードしました。
本家のホームページでは容量が足りなかったので、ジオシティーズのアドレスを取得して、そちらの方にあげました。

瀬畑源HP(倉庫)

簡単な解説付きで並べてあります。証拠なのでそれほど面白くはないでしょうが、興味がある方は参考にしてください。
そのついでに、元サイトの訴訟の書面からも証拠にリンクで飛べるように手を入れました。

これで、あとは宮内庁からの最終書面と判決文を上げれば、訴訟関係の書類についてはアップロード終了ということになると思います。


訴訟資料追加公開 [訴訟関係]

これまでの訴訟の準備書面を全てHPにアップしました。
宮内庁側は計6通、私の方側は「求釈明書」を含めて3通。
解説付きです。というか、解説を付けるのが大変で・・・。また量も多くて大変だった・・・。
今回のものは、宮内庁の準備書面(6)(7)は、歴史やアーカイブス関係の人が読んでも面白いかもしれません。

結局、Scansnapを中古で購入して作業しました。
なので、これまで証明の資料はあげていなかったのですが、これもあげられたらと思います。
ただ、全部だとサーバーの容量が足りないし、事実の確定のための資料は誰も見ないと思うので、絞っていこうかとは思います。

これらの資料はあまり見られているとは思わないですが、もし同じ事をやろうとする人がいたときに参考になるだろうと思ってあげています。
誰か一人でも参考になってくれると良いなあと思います。

あとは判決を待つのみです。


結審。そして判決へ・・・ [訴訟関係]

昨日、東京地裁で宮内庁情報公開訴訟第7回公判があった。
急転直下だが、今回にて結審、そして12月7日13:25東京地裁606号法廷にて判決ということになった。

さて、どうしてこうなったのか。
理由は、裁判前日に、第3文書の残りを全て宮内庁が開示決定をしてきたことにある。
つまり、裁判の対象となっていた文書がすべて開示決定されたのだ。

この裁判は、「不作為の違法確認を求める訴訟」というものである。
法律専門の話なので分かりづらいと思うのだが、要するに「今まで文書が出てきてないのは、宮内庁がサボってるからじゃねえのか。だからそれを「違法にサボってるだろ」と裁判所に認定してくれ」ということである。
ということは、全部出てきてしまうと「不作為の実態がなくなる」、つまり、この件については解決したとして裁判所が要求を却下するのだ。

この不作為の違法確認という手段は、「過去に違法であったか」は問わないのだ。
そのために、国家賠償要求を加えて、その点についても問題だとこちらは主張してきた。
しかし、国賠は言っては何だが、ものすごくハードルが高い。そもそも不作為だと確認されても、賠償は取れない方が普通だ。

今回、裁判長は、出てきたのだから訴訟そのものを止めたらどうかと提案をしてきた。
つまり、国賠を認めることはありえないと暗に伝えてきたわけだ。
だから、今回の裁判は、「法的」に見れば、不作為の違法確認は却下、国賠は敗訴で、こちらの敗北が確定したということになる。

だが、あえてこちらは判決を出してもらうことを望んだ。
近藤先生が主張したのは、「客観的事実の認定をしてもらいたい」ということだ。
つまり、判決文はただ「却下」と書くのではなく、実際に宮内庁の過去の行動は不作為であったかどうかの判断を、ある程度判決文の中に入れてくれということだ。

これを入れてくれるかは、裁判長次第と言うところだ。(逆に宮内庁の主張は正しいという認定はしないだろうとは信じているが。)
結局、こちらとしては、その文面が入れば、実質的な勝ちだと考えるということになるだろう(賠償は取れなくても、実際に宮内庁の行為が許されないという言葉が入れば、今後のプレッシャーになるはず)。

しかし、最後の宮内庁の開示追い込みはすごかった。
前日に来たものは、合計約700枚、しかも全面不開示部分を166枚含むという、相当思い切った開示をかけてきた。(中身を実際に見てみないと評価は難しいが。)
おそらく、「不作為を認定するか否か」の判決に持って行かれるのは、相当に厳しいという判断があったのだろう。

結局、この訴訟で何が私に、そして社会的意義が残ったのだろうか。それは判決後に改めて考えてみたい。
ただ言えることは、「裁判をやったら開示は早まる」ことは確かだ(苦笑)。


第4文書開示完了 [訴訟関係]

本日、宮内庁から、裁判で係争中の第4文書の開示の連絡が送られてきた。
これで、現在の状況を確認すると次のようになる。

係争中の文書
1.昭和25年東宮職日誌→全て開示決定
2.昭和26年東宮職日誌→全て開示決定
3.昭和27年資料関係録(立太子礼関係)→ほぼ半分ぐらい
4.昭和20年侍従職日誌→全て開示決定
もちろん、全てが部分開示(墨塗り部分有り)。

ついにあと第3文書のみになった。さて、裁判が終わるのが速いか、文書開示が速いか。
宮内庁側としては、終わる前に全部出してしまいたいのだろうけど。


『大正天皇実録』の公開の作業はどうなっているのか? [訴訟関係]

この2回ほどの裁判で宮内庁側から提出された書類の中で、気になることが書いてあった。

この書類とは、情報公開担当である官房秘書課調査企画室の文書管理係長の「陳述書」である。
これは、私の請求した文書の公開がどうして遅れたのかを、2002年4月から現在までの間の係長の仕事内容を説明することで、「不作為」がなかったと証明するためのものである。

具体的な内容は、私の文書についての対応だけでなく、他にも様々な仕事があって大変だったんだというものであった。
この中で、『大正天皇実録』の公開に関しても記載があった。

『大正天皇実録』とは、宮内庁が作成した大正天皇の伝記であり、全85巻、約7000ページあるとされている。
2002年3月29日に第1回目の公開がなされ、48巻~55巻、計443ページ分(1912年~14年)が公開された。
2003年3月28日に第2回目の公開がなされ、56巻~76巻、計1251ページ分(1914年~21年)が公開された。
その後は、全く公開されていない。

まず、係長の仕事が羅列されている中に、『大正天皇実録』の公表・非公表の調査を行っているということが記載されていた。
陳述書の中に次の記載がある。

「「大正天皇実録」につき、書陵部が平成14年3月29日、8巻分443ページの公開をし(第1回公開)、同年6月ごろの第2回の公開に向けて、毎週1回、半日程度をかけて、「大正天皇実録」の各ページに記録されている情報の公開の可否について書陵部から示された原案に対し、長官官房としての意見をまとめるため、文書管理係による長官官房幹部との検討会議が開催されており、さらに、毎月1回、長官官房秘書課と書陵部との検討会議が開催されていました。」

結局、公開は6月には行われず、翌年3月にまでずれ込むわけだが、このペースでは仕事をしていたようである。

ここでの仕事内容は、書陵部の原案を、情報公開室が庁内の意見調整を含めて検討していたということのようである。
書陵部から調査企画室に送られていることは、以前のブログ(昨年8月24日)で書いていたが、庁内調整を文書管理係長本人がやっているとは思わなかった。
つまり、最終的な公開非公開は、情報公開室の基準がそのまま適応されていたことになる。

さて問題はここではない。
実はこういった、「大正天皇実録で大変でした」という陳述が、これ以降、一切出てこないのである。
現在の係長になってから(2005年以降)も、その作業自体が存在していることは、陳述の中に出てくる。
しかし、具体的に何をしているのかが、全く書かれていないのである。

この陳述書は、「自分の仕事がいかに忙しかったか」を証明するためのものである。
だから、2回目の公開の際の忙しさについては記載があったわけだ。(1回目の時は、時期が今回の裁判と絡んでいないので、詳しく書かれていない。)
つまり、記載がないということは、「その仕事がたいした作業量ではない=あまり仕事をしていない」と考えられるのではないだろうか。
もちろん、「記載がない=何もしていない」と決めつけることはできないかもしれないが、少なくとも忙しい理由にはならないレベルの仕事しかしていないということになるだろう。

これが、「公開基準が明確になったから、書陵部の作業をそのまま採用すればよい」という理由で仕事がないなら良い。
しかし、個人情報の開示基準などは、この期間、私や佐藤君への情報公開審査会での答申、総務省の指導等で、相当に揺れ動いているはずであり、庁内調整なくして、公開できるとは思えない。
そもそも、『大正天皇実録』の公開が遅れている理由は、私の文書(特に、東宮職の日誌)と同じく、個人情報であるが「公にする慣行(予定も含む)があれば公開」というその「公にする慣行」という部分の解釈が定まらないという理由で遅れている可能性が高い。
なので、庁内の調整が必須のはず。
そう考えると、おそらく作業が停滞しているということなのだろう。

そう考えてくると、宮内庁の論理は次のようになりはしないだろうか。

「昔は「大正天皇実録」の作業で忙しくて私の文書開示が遅れていた。
 現在は私の裁判等があるから「大正天皇実録」の公開が遅れている。」

宮内庁が私の裁判でさんざん主張しているのは、「他の業務で忙しければ、公開が遅れてもやむを得ない」ということである。
これが、全ての場面で共通しているのなら、「裁判」を起こされたので、その対応に力を注ぎ、「他の作業が遅れている」ということになるのではないか。(ちなみに、陳述の中で、文書管理係長は、他の人の裁判によって、私への開示が遅れたと明言している。)

裁判で勝たなければ公開は早くならない。
しかし、裁判をすることで、他の史料の公開作業が遅れることになる。
悪いのは、私だとでも言うのだろうか・・・

もし、上記の推測が合っていたのならば、本当に許されざることである。
文書管理係の現在の人員はたったの3名。
書陵部の仕事も抱えているのであれば、もっと人員を増やすべきではないのだろうか?


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