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公文書管理法と外交記録公開 [2011年公文書管理問題]

ある外交史研究者の方から、「公文書管理法が施行されてから、外交史料館での資料閲覧にやや問題が生じている」という話をうかがった。
詳しく聞いてみると、「これまで「要公開準備制度」(後述)の下での公開は、請求後1~2週間ぐらいで処理されていた。しかし、4月以降、30日もしくはそれ以上待たされるようになった。以前から、請求は1度に簿冊5冊までと決められているので、毎回1ヶ月以上かかって5冊ずつしか公開されないのであれば、新資料を使った研究がなりたたなくなる」とのことである。

私自身はあまり外交史料を使った研究を行っていないため、外交史料館での文書公開の問題については、必ずしも詳細に手続きを知っているわけではなかった。
そこで、興味を持って調べてみたのだが、思ったよりも実態を把握するのが大変だった。
なぜなら、この数年、日米密約問題などに絡み、何度か制度が改定されたためである。

そこで、この変遷過程と現状について報告をしておこうと思う。
それにまとめて書かないと忘れそうなので。

これまでに書いたブログ記事の中でもかなり長文の部類に入りますが、分割しては意味をなさないので、このまま1本の記事として掲載します。


まず、昨今の外交史料公開は、以下の4段階に分けられる。

①2008年までの「外交記録公開」(全21回)
②2009年2月26日の「要公開準備制度」の導入
③2010年5月25日の「外交記録公開に関する規則」制定
④2011年4月1日の公文書管理法施行、上記規則の改正


なお、これ以外に、一般からの外務省への「情報公開請求」による文書開示という手段がある。
また、この開示された文書のうち、歴史的に重要な文書と判断された文書は、その写しが外交史料館で公開されている。

ただし、今回の記事では、外務省側が自発的に文書を公開する際の手続きに説明を限定する。

①2008年までの「外交記録公開」(全21回)

図Aを参照
この図は、「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」第9回の資料1から作成したもの。

2008年時では、移管及び公開審査は、官房総務課と文書を作成した原課によって行っており、特に移管廃棄の判断は原課の意向が強く表れるようになっていた。
移管審査の際に「廃棄」が決まった文書については、外交史料館が中心となって再考し、必要なものは移管へと変更していた。(なお、話によると、廃棄以外のプロセスに対しても外交史料館は意見を言う機会はあったらしい。)

ただし、これは通常の移管についての手続きである。
これ以外に、いわゆる「外交記録公開」制度が存在していた。

「外交記録公開」は1976年から行われているもので、外務省が自発的に作成から30年以上経過した文書をまとめて公開する制度である。
他の官庁にはこのような制度は無いが、外務省の場合、日本と関係のある外国が、国際慣行に従って、30年経つと対日関係文書を公開してしまうので、自主的にこのような制度を始めたのである。

ただし、この制度はあくまでも「自発的に」行っているものであるから、どの文書を優先的に公開するかは原課の判断が優先された。
また、この公開制度は、総務課や原課が選別した記録をマイクロフィルム化(最近ではCD-R化)して、外交史料館で閲覧に供するものであり、必ずしも原本の移管を伴うものではなかった(原本との照合が未だにできないという話もあるので、おそらくほとんど移管されていないのではないか?)。
このため、さきほど説明した図Aのルートを通らない。
外交史料館もこの公開には一切関与をしていなかった。


②2009年2月26日の「要公開準備制度」の導入

2008年までの外交記録公開制度は、すべての審査を完了し、公開できるものだけを公開するという制度であった。
このため、公開までに時間がかかることや、文書の欠落の問題などが指摘されるようになってきた。
そこで、「要公開準備制度」が新設されることになった。

この「要公開準備制度」が「外交記録公開制度」と異なる点は、

a:原本を移管する(そのため墨塗り箇所などもある→墨塗り部分は複写してから塗る)
b:公開審査の最後に行うマスキング(墨塗り)作業や閲覧用目録の作成などの時間がかかる作業は、請求されてから行うことにして、先に移管目録(外務省移管ファイル件名目録)を公開する。


特にbの部分が重要で、これまではすべての公開作業を行ってからでないと公開がされなかった。
マスキングや閲覧用目録の作成は、単純作業ではあるが時間がかなりかかる作業であったため、この部分を「請求後」に行うことによって、請求されない文書を処理する時間分が浮くことなり、その分公開速度が上がることになった。
なお、この「要公開準備制度」においても、外交史料館は公開審査には関与していない。


③2010年5月25日の「外交記録公開に関する規則」制定

2010年3月に「いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会報告書」が出され、この中で外交記録の公開方法についての改善案が提示された。
これに基づいて、5月25日に「外交記録公開に関する規則」が新たに制定され、以後はこの規則に基づいて、外交記録の公開が行われることになった。

図Bを参照。(手許に持っている資料が7月に改定後のものだったので7月現在となっているが、おそらく5月から同じだったと思われる。)
大きく変わった点は

a:これまで原課が移管・公開の1次判断を行っていたのに対し、総務課長が1次判断、原課は2次判断に(昭和54年以後作成文書の移管は原課が1次判断)。また外相の許可も必要となり、政務レベルの判断が加わることに。
b:第3者も含まれる「外交記録公開推進委員会」が審査に大きく関与。
c:新たに外交史料館が移管・公開の「手続」に「実質的に関与」。


これに基づいて、2通りの公開方法が取られることになった。

A:要公開準備制度
B:公開審査・手続をすべて終了してから公開する制度


Aについては、②でも説明したように、公開審査まで終了し、最後のマスキング等の作業を後回しにしたもの。
これまでAの目録は「外務省移管ファイル件名目録」と呼ばれていたが、以後「外交記録公開一般案件目録」となり、外交記録公開の下にある制度として再編された。

そのため、この制度での移管や公開には、外交史料館も審査手続きに関与できるようになった。
ただし「手続」に「実質的に関与」という微妙な表現なのは、審査の中心に外交史料館がいるのではなく、あくまでも「意見を言える」立場を確保したということにすぎない。

なお、ファイル名が公開されてから閲覧までの手続きは②と変わらないので、利用者にとっては特になんらかの変化を感じなかったのではないかと思われる。
変わったのは、そのファイル名が公開されるまでの間の手続きである。
(ただし、この繁雑な手続きがどこまできちんと行われていたのかは、検証が必要かもしれない。)

Bは2008年以前の「外交記録公開」を引き継ぐものとして位置づけられる。
これに基づいて、「沖縄返還交渉,日米安全保障条約改定交渉関係」の文書や、4回にわたる外交記録公開が行われた。
これらは、重要文書であるため、公開審査や手続きをすべて終えた上で、CD-Rによって公開されている。
2008年以前とは異なるのは、移管と公開審査が1つの流れとなっているので、おそらく原本の移管を伴っているのではないかということだ(制度的には原本移管を伴っているはず)。


④2011年4月1日の公文書管理法施行、上記規則の改正

まず、公文書管理法施行によって、利用者に「請求権」が発生した。
ただし、この「請求権」を毎回行使すると、すでに閲覧可能な特定歴史公文書等についても、内部の決裁が必要となって、外交史料館に行ってもすぐに文書が見れないという事態になってしまう。
そこで

ア:請求権を行使しない閲覧(「簡便な方法」による閲覧)
イ:請求権を行使する閲覧


の2つに分かれることになった。

このうち、アはすでに閲覧が可能となっている文書を、外交史料館に行ってすぐに閲覧できる手続きである。例えば、③のBで公開された文書などが対象となる。
これは外交史料館利用等規則の第22条に規定されている。

一方、イにあたるものは、これまでのAの要公開準備制度で公開された目録に載っている文書への請求の際などに用いられることになる。詳しくは後述。

これを前提にして審査についての説明を。
図C図Dを参照。

公文書管理法の施行によって、「外交記録公開に関する規則」は全面改定された。
これによって、「通常審査」(図C)と「特別審査」(図D)の2本立てで審査が行われることになった。(要公開準備制度は廃止)

まず「通常審査」の特徴であるが

a:移管審査の1次判断は、主管文書管理者(原課)の担当に再変更(2008年以前、2010年の昭和54年以後作成文書の方法に戻った)。
b:公開審査は総務課長が1次判断を行うことは変わらないが、2次判断を原課に求める義務はなくなった(廃棄の際には意見聴取)。
c:外交記録公開推進委員会の関与が大幅に減少。移管審査の際の委員長の了承を得ることと委員会への報告及び、公開審査の途中での廃棄に対する委員長の了承だけが残った。外相の決裁も同様に減少。
d:公開審査において外交史料館から意見聴取を受ける必要が無くなった(廃棄の際には意見聴取)。
e:文書廃棄の際には、公文書管理法に基づき、内閣総理大臣の同意が必要となった。


委員会の関与が大幅に削られていることをどう判断するかは難しいところ。
確かに、外部の有識者がいるところで審査を行うことは、透明性を高める意味でも重要だが、3ヶ月に1回しか行われていない委員会で数千件もの審査をまともに行うことは現実的に無理だと思われ、実質的には機能していなかったと思われる。
結局、この委員会の審査機能を強化させるよりは、重要でない案件は委員会をかけないことにすることで、現実とつじつまを合わせたということだろう。

また気になるのは、外交史料館の審査への関与の仕方である。
移管審査に関与できる権限は残ったが、公開審査への関与権限は2010年5月以前と同様に無くなってしまった。
これがどのように影響するかは注目する必要があるだろう。

次に「特別審査」の特徴であるが、

a:基本的には図Bの昭和53年以前作成文書の審査を引き継いでいる。
b:特別審査にまわす「重要な案件」を選ぶのが、主管文書管理者(原課)となっている(2010年時は委員会)。
c:「通常審査」のd,eと同じ。


この「通常審査」と「特別審査」の使い分けについては、完全にははっきりしていない。
外交記録・情報公開室に聞いてみたところ、「通常審査」は一般的な要件に適用され、「特別審査」は重要な案件に適用されるとのことである。
これでは説明になっていないのだが、どうも後者は日米安保などに関係する記録に適用されるようである。

ただ、③のBにあたる「外交記録公開」の方法を取る公開だからといって、必ずしも「特別審査」になるということでもないようだ。
どうやら、外務省にとって「特別」に審査をする必要があるという「内部の論理」(重要な案件を選ぶのが原課である)が適用される際には、「特別審査」が用いられるということなのだろう。

この「通常審査」と「特別審査」は、基本的には「これから移管されてくる文書」についての審査である。
しかし、これだけではすまない問題を抱えている。
それは、2011年3月以前に「要公開準備制度」の下でファイル名が公開されていた一連のファイルの扱いについてである。

これらのファイルのうち、管理法施行以前までに請求をされて公開されたものは、閲覧室で「請求権を行使せず」に閲覧を行うことができる。
しかし、以前に公開請求されていなかったものは、4月以降、「請求権を行使」して閲覧請求を行うことになる。
この場合の手続きは、公文書管理法に基づいた基準が適用される。
よって、3月以前に公開審査を終えて、マスキング等だけをすれば良いはずだったファイルが、4月以降の公開基準に合わせて、再度公開審査を行わなければならなくなったのである。

この4月以降の審査基準は、以前と比較すると、個人情報の開示などについての基準が厳しくなっている。
また、これまで外交史料館は、個人情報についてはそれほど厳しい非公開基準を適用していなかったようであるため、国立公文書館等と横並びに基準を設定することで、むしろ以前よりも公開基準が厳しくなってしまったのである。

これまでの裁量による開示方法は、宮内庁のように「裁量で狭める」方向に作用することもあったので、これをきちんと横並びにしてルール化したのは決して悪いことではなかったと思われる。
問題は、そのルールが一番進んでいるところに合わせて作られなかったという点にあったのではないか。

以上が外交記録公開の現状である。

今後外務省がどのように外交記録を開示していくかは、4月以降に新規の公開が行われていないのでよくわからない。
要公開準備制度は無くなったが、すべての審査手続を完了した文書公開(③のB)のあり方に一本化するのは非効率であり、文書公開の停滞を招く可能性が高い。
よって、「要公開準備制度」に近い形での、移管優先、公開審査や手続きは請求後に行うような制度が整備されるものと思われる。

なお、現状を変えるためには、やはり「人員」と「予算」を増やすことが必要不可欠であると思われる。
しかし、外交史料館は外務省の一部局であるため、総定員法の制限を受ける。よって、他の部局から人員を奪ってこない限り、人を増やせない仕組みになっている。
岡田外相は、外交史料館などの人員を増やすことを明言していたが、その後どうなったかはよくわからない。
現在の松本外相はそのあたりの積極性があるのかは未知数である。

なお、『外交史料館報』第24号(2011年3月)において、細谷雄一慶應義塾大学准教授は次のようなことを述べていた。

今回日本の外務省が採用した制度はすばらしい制度(引用者注:2010年5月の制度)だと思うのですが、人員と予算の面で、間違いなくこれは運用不可能だと思っています。つまり、予算を増やし、人員を増やさない限り、岡田大臣が理想としたようなものを実行するため、恐らくは、外交記録・情報公開室長をはじめとする方々が過労で倒れるまでは続けられるとは思うのですが、今の体制で運用していけば、いずれ必ずまた止まってしまうと思うのです。〔中略〕運用をより効果的にするためにはどうしたらいいのかということを、これから次の段階で真剣に議論しなくてはいけないということです。(53-54ページ)

細谷氏は外交記録公開推進委員会の委員であるので、ある意味、外務省内部の文書管理部門の本音の部分を代弁しているようにも思える。

この問題については、私自身は外交史料をほとんど使わない研究をしているので、どこまで追いかけるかは未知数である。
外交史研究者の奮起を期待したいと思う。
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コメント 2

ダグラスリーフ

外務省と聞いて湾岸戦争の事思い出しました。
あの戦争勃発時、たしか在イラク日本国大使と在クウェート大使は「不在」でした。
何か理由があったと思います。
でもそういう時は、代理を立てるべきだと感じました。
おかげで、現地の日本人は大迷惑をこうむりました。
これらの解明も含めて、外交史研究者の皆さまには、是非とも頑張ってほしいと思います。
by ダグラスリーフ (2011-06-08 01:09) 

ダグラスリーフ

上記表現2行目(06-08 01:09)を一部訂正します。
・・・大使は「不在」でした。→・・・大使は「不在」だったと記憶しています。
by ダグラスリーフ (2011-06-08 06:28) 

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